貿易実務の「現場」から世界を変えるイノベーションを巻き起こす——「TMIP Innovation Award 2024」優秀賞/オーディエンス賞:三菱商事マシナリ『SPARE-MARKET』

今井 香菜子

今井 香菜子

三菱商事マシナリ株式会社 BX本部 EX/DX事業部 DX事業チーム シニアアシスタント

2009年に三菱商事マシナリ株式会社に入社。国内外の製鉄・セメントプラント向けの予備品(*1)取引を担当。これまでにアジア、中南米、欧州など16か国以上の顧客との輸出取引を経験。また製鉄・電力プラントの新設EPCプロジェクト(*2)の受注後の契約履行にも従事。現在は、会社の新たな成長・価値提供を目指した新規事業開発の主担当を務める。国内サプライヤー向けの貿易実務簡易化サービス検討を経て、AI・デジタル技術を駆使し貿易取引関連業務を最大限効率化するサービスを立ち上げ、日本製品を世界に届け、日本の競争力向上に貢献することを目指している。
(*1)プラントの安定稼働に必要な部品。
(*2)プラントの設計・調達・建設を一括で請け負う契約形態。

大企業の新規事業創出支援や大企業とスタートアップ、産・官・学・街との連携で事業創出を目指すオープンイノベーションプラットフォームTMIPTokyo Marunouchi Innovation Platform)。昨年に続き、大企業がオープンに新規事業に挑戦する社会を目指し、大企業発の新規事業創出”を表彰する「TMIP Innovation Award 2024」が開催されました。

過去5年間に立ち上がった新規事業の中から、市場規模や革新性、社会課題の解決に対する姿勢など、さまざまな観点を踏まえ、次の時代を担う大企業発の新規事業を評価します。2024124日、最終選考に進んだ5つの事業によるピッチを経て、最優秀賞、優秀賞、日経ビジネス賞、オーディエンス賞を決定しました。

選考会を見守った観客の投票によって決定されるオーディエンス賞と優秀賞をダブル受賞したのが、三菱商事マシナリの新規事業『SPARE-MARKET』です。産業プラント業界における機械・部品に特化した貿易商社として、三菱商事の100%出資のもと設立された同社のバックオフィス部門にて、貿易の各種事務手続きを担ってきた今井香菜子さんは「海外プラントとの貿易実務の中には長年の間変わらない、さまざまな非効率・高負荷なプロセスがある」とします。

そんな今井さんは、現場で感じてきた貿易実務の非効率の解消を目指して『SPARE-MARKET』を立ち上げました。「現場」にいたからこそ実感した根深い課題を起点に、世界中の貿易のあり方を変えうる新規事業のアイデアを確立していく過程を今井さんに聞きました。

前時代的で非効率な作業が温存されつづける貿易実務の現場

三菱商事マシナリは1982年の設立以降、発電や化学・製鉄などのプラントの補修部品輸出、保守点検などのアフターサービスなどを手掛けてきました。そんな同社で入社以来、貿易事務などを経験してきた今井さんは「貿易実務では、手作業での書類作成やデータ照合など、非効率な部分も非常に多くあった」と言います。

特に海外のプラントオーナーとの取引では、クライアントによって発注書のフォーマットが異なり、「扱う部品の名称すらも統一されていないことがある上、見積もりと契約書の内容が変わっていることもたびたびある」など、人的ミスが発生しやすいという課題がありました。

そのため新たな取引が発生した際は、注文内容をクライアント・サプライヤーと正確にやり取りするために、引合(問い合わせ)内容から「どの部品を何個、納期はいつ」といった情報を手作業で読み解き、見積もりや受注、精算、出荷といった各フェーズで専用のフォーマットに内容を転記し、書面を見比べながら内容を目検する必要があります。しかし、こうした書類の突合作業は、一つのフェーズの、一つの作業だけで年間約1.5ヶ月を要するなど、現場の負担は限界を迎えているといいます。

SPARE-MARKET』が目指すのは、こうした貿易実務の非効率の解決です。具体的には、文字情報を読み取ってデータ化するAI-OCR技術を活用した書類の電子化と、さまざまな書類様式への自動変換を実装しようとしています。今井さんは「扱う補修部品は何千とある中、金額も含めて目視で書類の確認をしてい。『今の時代、いまだに人間がこんな作業をしているんだ』という工程が多い」と現状を明かし、業務効率化と輸出入における情報の透明性向上を実現し、海外との取引のハードルを下げるべく、『SPARE-MARKET』を構想しました。

今井さん「日本の商社やサプライヤーは書類作業の手間に忙殺され、一方で海外のプラントオーナーは『日本の部品を使いたいが、日本のサプライヤーから回答が来ない』と不満を溜めています。特に、産業プラントの予備品(プラントなどの機械を適切に保全し、機能させるためにストックする部品)はニッチな分野なので、対策もされてきませんでした。

私自身もバックオフィス職として部品取引の業務を担当してきましたが、人員不足が原因で多くのビジネスチャンスを逃していると痛感してきました。業務効率を改善しないと、日本の産業プラント業界はだめになってしまうと強く思ったんです」

三菱商事マシナリ株式会社 BX本部 EX/DX事業部 DX事業チーム シニアアシスタント 今井香菜子さん

顧客が「お金を払ってでも使いたい」と思うサービスとは

そのような課題を抱いていた今井さんは、2020年ごろに同僚らと「SPARE-MARKET構想」を立ち上げます。当初構想していたのは、プラントの予備品を扱う世界共通のマーケットプレイスでした。翌2021年には同社としても正式に新規事業開発プロジェクトを推進するようになり、今井さんは精力的にサプライヤーへの課題・ニーズのヒアリングを実施しますが、その中で構想と現場のギャップを感じるようになったといいます。

今井さん「すべてのプラントオーナーが共通のフォーマットで部品を注文できて、その内容がしっかり日本のサプライヤーに届けられるようなマーケットプレイスがあるべきだと考えていました。実際、サプライヤーをまわって構想を話すと『凄くいいね』と言ってもらえることが多かったですね。

ですが『コストをかけても使いたいサービスだと思いますか』と問うと、あまりいい反応は返ってきませんでした。『将来的には使いたいと思う』とは言ってもらえたのですが、足下では現場のみなさんが書類作業に追われているわけで、先のことなんて考える余裕がないんですよね。そこで、まずは貿易実務のオートメーションに取り組もうと考えるようになりました」

アイデアを修正し、次にまとめたのがサプライヤー向けの「貿易実務簡易化サービス」。システム上に実務の全フローが取り込まれており、取引の出発点となる引合の段階で書類を登録すれば、次に行うべき手続きが示され、貿易実務の専門知識が無いサプライヤー側でも海外との取引を完遂できるという狙いでした。

しかし結果的に、この計画も頓挫することになります。実務フローをシステムが示すといっても、従来商社に実務を一任できていたサプライヤー側にとっては新たにシステム担当者を割く必要が生じ、むしろ現場の負担を増やしかねないことが分かったのです。

今井さん「いざサプライヤーにシステムの利用を持ちかけると、誰も『買う』とは言ってくれませんでした。本当にお金を出してまで解決したい課題とズレていたのだと思います。私としては、専門用語が分からなくても実務が進められるようにして、誰でも貿易ができるようにしたいと思ったんですが、今、目の前のサプライヤーの負担が増えてしまう結果になっていました。

じゃあ、どこに本当のニーズがあるんだろうと考えたときに、『書類そのものに困っているんだ』ということに改めて気づけたのが、2023年末でした。大晦日の夜もあるサプライヤーの方が書類業務に追われていて、私はサポートするために電話でやり取りをしながら『その書類に書いてある数字を、この書類にコピペしてください』と書類の作成方法を教えていました(笑)。

『どうしてこんな時間まで書類作業をしないといけないんだろう』と思ったし、自社に目を向けても、皆がいろんな書類を並べて一生懸命チェックしていて。この書類周りの困りごとは共通のものだと感じたし、今すぐ解決したい課題を解決できるサービスなら、お金を払う価値があると考えました」

見据えるのは「世界を巻き込むマーケットプレイス」

たどり着いたソリューションは、取引が発生し、引合書が到着した時点から、AI-OCR技術を活用して書類をデータ化し、取引の内容をクラウドで管理するというもの。これにより、以降の各種手続きフローにおいて、必要な際に必要なフォーマットで情報を出力できるようになり、転記や目視で確認する労力をカットできるようになりました。

2024年初頭から、実際の書類を使ってトライアルを開始。当初はいくつかの既存AI-OCRシステムを試したものの、「システムベンダーに貿易実務とは何かを理解してもらい、システムに反映する難しさを感じた」と今井さんは言います。最終的に技術図書(設計図や技術仕様書、作業手順書など)からの情報摘出に強みを持つカナダのスタートアップ・IPSとパートナーシップを結び、独自のシステムを構築しました。

今井さん「貿易の全体プロセスは約50以上のステップに分かれます。どこから手を付けるべきか、すぐ社内やサプライヤーにヒアリングをかけたところ、やはり最初の引合書のデータ化が重要だと分かりました。

どんどんPoCを回しながら、AIにも弊社が蓄積している膨大なデータや、間違えやすい箇所を教えていって。『今度こそアイデアを形にしたい』と思っていたので、サプライヤーとの価格合意も、スピードを意識して取り付けました」

2024年度のサービスローンチ後、まずは個別のサプライヤーのニーズに合わせてカスタマイズした貿易書類自動作成サービスを展開。今後は自社大手サプライヤー及びそのグループ企業を中心にユーザー層を広げ、事業拡大を狙います。

さらに、より多くのサプライヤーを巻き込んだ先には、貿易プロセス全体の可視化・自動化や、注文から納品までを一元管理できるマーケットプレイス構想も見据えています。

今井さん「まず目の前の課題から着手しましたが、目標はあくまでも『独自のマーケットプレイスを構築すること』です。

貿易書類自動作成サービスを展開し、多くのサプライヤーを巻き込んだプラットフォームのような存在になれれば、プラントオーナーにとっても参画するメリットが生まれると考えています。そうなれば、さまざまなサプライヤーとプラントオーナーをつなぐマーケットプレイスを生み出せると思っています」

私の「日常」から生まれたサービスで、世界規模のマーケットを変える

今井さんは、バックオフィスの現場で実際に手を動かしていた立場から、貿易実務の普遍的とも言える課題に向き合い、新規事業開発に至りました。その熱量がどこから生まれたのかを問うと、「(書類業務の複雑さは)自分にとっても身近な課題で、日常でした。変わらないことも当たり前と思っていましたが、困っている人が目の前にいて、改善することをサポートしてもらえる環境もあるなら、やってみようと思えた」と答えてくれました。

今井さん「大企業の中で新規事業を立ち上げるメリットはたくさんありました。事業だけに集中できるし、弊社で言えば世界中にある拠点を活用して情報を集めたり、大手サプライヤーとのネットワークが使えたりした点も大きいですね。

決裁の承認フローが煩雑になることはデメリットだと思いますが、進捗状況をこまめに報告し、『何をやっているかが見えない状況』を避けることで、周囲からの理解を得ながら事業を前に進めることが必要だと、これまでの取り組みを通して学びました」

TMIP Innovation Awardに参加したのも「社内外での認知を広げ、事業を円滑に推進する狙いがあった」とし、社外からの評価・フィードバックを糧に『SPARE-MARKET』のさらなる拡充に意欲を燃やします。

今井さんTMIPが拠点を置く丸の内エリアの企業には、貿易に取り組んでいる企業も多いと思います。TMIPのコミュニティを活用して、そうした企業の多様性も取り込んでいけば、貿易にまつわる新たな課題も見つけられるし、『SPARE-MARKET』のユースケースも、増やしていけるはず。実際に貿易実務に携わっている現場の方との関わりを持っていきたいですね。

私は一般職として、既存事業では主にサポート役を担っていたので、そこまで強い発言権を持っていたわけではないというか(笑)。でも、社外の方から『SPARE-MARKET』に対して高い評価をいただければ、その声で事業を推進する力に変えられると思っています。

そもそも社内には新規事業をやってきた人間はいないですし、私自身『この新規事業はプロの目から見てどうなんだろう』と迷いや不安があります。今後も迷うことは多いと思うので、こういう機会に冷静なフィードバックが欲しいと考えました」

そうして参加を決めたTMIP Innovation Awardにおいて、今井さんは実際に「高い評価」を得ることになります。会場に詰めかけた観客による投票によって決定されるオーディエンス賞と、優秀賞をダブル受賞したのです。

最終選考会・表彰会で実施されたピッチは、グラフィック・クリエイター 春仲 萌絵さんによってリアルタイムでグラフィックレコーディングにまとめられた

審査員を務めた新規事業家の守屋実氏は、「実務の現場から生まれたサービスである点が素晴らしい」とした上で、このようにコメントを続けました。

守屋さん「大企業における新規事業は、事業開発室にアサインされた方の『何かやらなきゃ』という思いから生み出されることが少なくありません。もちろん、そこから素晴らしい事業が生まれることもあるのですが、『SPARE-MARKET』は15年もの間、バックオフィスで実務を担当してきた今井さんが生み出した。

だからこそ、しっかりと思いが乗っていることを感じられたし、今井さんのような方がこのステージに登っていること自体に価値があると思います。そして大きな構想を描き、一度失敗した後、ピボットして新たな『小さな一歩』を踏み出したことも、素晴らしいなと思いました」

TMIP Innovation Award 2024」最終選考会・表彰式においてピッチをする今井さん

今井さんに今後の展開について尋ねると、「私がやらなきゃ、と思っています」と力を込めました。

今井さん「今取り組んでいる課題は、私の日常であると同時に業界全体、ひいては国益の問題と言えると思います。これまで貿易に関わってきた経験として、日本の製造業の品質には自信があります。

だからこそ、現状で取りこぼしている取引を減らしたい。『予備品の貿易をやるなら、絶対にSPARE-MARKETを通したほうが良い』と言われるような業界共通のプラットフォームになるまで成長させたいと思います」

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