西田 誠
MOONRAKERS TECHNOLOGIES株式会社 CEO/代表取締役
1993年東レ入社。
20代で当時の先端素材フリースの新規事業に挑戦。ユニクロへの飛込営業で大型契約を獲得し、東レと同社の取組のきっかけをつくった。2度目の新事業では、素材から最終製品までサプライチェーンの延伸に挑戦。7年で50億円規模まで拡大し大きな成功を収めた。これらの新事業は今や約1兆円規模に成長した東レ繊維事業を支えるコンセプトの先駆けと言えるものであった。
現在、3度目の新規事業として先端技術で服の進化を目指すD2Cプロジェクト『MOONRAKERS』に挑戦中。昨年末、「出向起業」制度の活用でスピンオフによる独立会社を設立し、本年「日本新規事業大賞」を受賞するなど、現在大きな注目を集めている。
大企業の新規事業創出支援や大企業とスタートアップ、産・官・学・街との連携で事業創出を目指すオープンイノベーションプラットフォームTMIP(Tokyo Marunouchi Innovation Platform)。昨年に続き、大企業がオープンに新規事業に挑戦する社会を目指し、大企業発の ‟新規事業創出“を表彰する「TMIP Innovation Award 2024」が開催されました。
過去5年間に立ち上がった新規事業の中から、市場規模や革新性、社会課題の解決に対する姿勢など、さまざまな観点を踏まえ、次の時代を担う大企業発の新規事業を評価します。2024年12月4日、最終選考に進んだ5つの事業によるピッチを経て最優秀賞、優秀賞、日経ビジネス賞、オーディエンス賞を決定しました。
優秀賞に選ばれたのは、東レ株式会社(以下、東レ)が持つ最先端技術と強力なサプライチェーンを生かし、高機能なアパレル製品を直接消費者に届ける新ブランド『MOONRAKERS』です。本記事では東レで出向起業一時退職制度を活用し、同ブランドを展開するMOONRAKERS TECHNOLOGIES株式会社の代表取締役である西田誠さんをお招きし、東レ初のD2Cプロジェクトを始めるに至った経緯や、出向起業一時退職制度の活用を決意したきっかけ、そして事業を通して伝えていきたい思いと、大企業の新規事業から派生するスタートアップの可能性について、詳しくお話を伺いました。
東レの自由闊達な風土が生んだ『MOONRAKERS』プロジェクト
『MOONRAKERS』は、親会社である東レ発のベンチャープロジェクトとして2020年に発足。東レ初のD2C(Direct to Consumer)事業として注目を浴びる中、2023年11月、ベンチャーキャピタルや東レ、投資家から1億円の資金調達を実施し、東レで出向起業一時退職制度を活用して事業運営する形でスタートアップとして独立しました。
本プロジェクトの発起人であり、事業をリードし続けている西田さんは93年に東レに入社すると、営業として働き始めた当初からその商才を発揮します。98年当時、ユニクロから発売され、すでに売れ筋商品となり始めていたフリース製品の噂を聞きつけた西田さんは、飛び込み営業で東レの先端フリース素材を売り込み、なんと当時の年間販売数量の数倍にも及ぶ超大型受注を獲得。
そして、このことをきっかけに東レとユニクロは連携を強めていくことになり、その取り組みは東レの事業拡大に大きく寄与することになります。
その後、ユニクロを運営する株式会社ファーストリテイリングに2年間出向した西田さん。大手SPA(製造小売業)の世界を股にかけるサプライチェーンの規模の大きさや、良い商品を創造するためには素材から縫製品までトータルコントロールすることの重要性を痛感し、「素材だけでなく縫製品までサプライチェーンを延伸することで、素材を売り込むだけだった東レのビジネスモデルを変えたい」と、新たな事業に取り組むようになります。
次々と新規事業を立ち上げる西田さんですが、彼の背中を押したのは東レの自由な社風だったと言います。
西田さん「入社当初から感じていたことですが、東レには新しい取り組みに臨む社員たちを応援する自由闊達な風土があり、今もそれは続いています。まだ20代の頃でしたが、『新規事業に取り組んでみたい』と当時の上司に相談した際に、『損しない程度にやってみろ』と即断で前向きな返答をいただけたのが印象に残っています」
縫製品OEM事業の売上は、7年間で50億円規模にまで拡大。2度目の新規事業も成功に導いた西田さんですが、今度は社内ベンチャープロジェクト『MOONRAKERS』で東レ初のD2C事業に挑みます。
これまでの新規事業発足のきっかけは、1度目は「フリースの素材を売り込み、事業規模を拡大する」ため、2度目は「サプライチェーンを延伸し、ビジネスモデルを変える」ため、とそれぞれ東レにとって前向きな理由からでしたが、西田さんにとって3度目の新規事業となった『MOONRAKERS』の場合は「東レの新規技術が廃れてしまうかもしれない」という危機感からでした。
西田さん「近年、東レが開発した技術に『NANODESIGN®』という複合紡糸技術があります。これは革新的な繊維開発技術で、この技術が生まれたことでハイレベルな機能を追求しながら、天然素材にも負けない質感を担保する衣服を生産できるようになった。
『これは絶対世の中に出さないといけない』と思う一方で、この技術を利用するとどうしても製品が高値になってしまい、メーカーからの受注が増えないという課題が浮き彫りになりました。そこで『ここまでサプライチェーンを延伸してきたんだから、どうせなら自分たちで生活者の方々の手に直接届けよう』と決意し、立ち上げたのが『MOONRAKERS』です」
『MOONRAKERS』を成功に導いたのは「先端技術に対する高い熱量」
『MOONRAKERS』が発足した2020年はコロナ禍真っ只中。緊急事態宣言が発出され、外出ができなくなり、企業においてもテレワークを余儀なくされるなど、これまでの常識が一変した時期でもありました。
一方で、コロナ禍に確立されつつあったニューノーマルに適応するため、数多くのツールやプラットフォームが開発・注目されるようになります。そのうちの一つが、西田さんも着目したクラウドファンディングでした。
西田さん「アパレル産業は製品を大量生産して在庫を抱えながら運営し、セールで在庫調整するのが常識です。日本に流通している服のうち、半分以上は捨てられるか、海外に安い値段で売りに出されるとすら言われています。こうした業界の常識は環境に大きな負荷を与え、社会の持続可能性を損ねてしまいます。そんな課題意識も『MOONRAKERS』を立ち上げた理由の一つでした。
そんな中、盛り上がりを見せ始めていたのがクラウドファンディングです。とても画期的なシステムだと思いました。火付け役であるMAKUAKEが上場したのが『MOONRAKERS』発足前の2019年。コロナ禍を機に一層関心を集め始めていたのを覚えています。
このクラウドファンディングを利用すれば、支援者からの出資金を元手に受注生産できるので、過剰在庫を抱える必要がなくなる。アパレル業界が抱える構造的な課題を解決するきっかけをつくれると思ったんです」
西田さんは、2020年から2021年にかけて数件のクラウドファンディングでテストマーケティングを実施。ここで手応えを感じたことをきっかけに、2022年、満を持して『MOONRAKERS』の代表製品である「MOON-TECH®(ムーンテック®)」Tシャツのクラウドファンディングを開始すると、瞬く間に支援者が増え、達成率はなんと3,000%超え。900万円以上もの支援金が集まりました。
西田さん「『MOONRAKERS』は、『先端技術の素晴らしさを知ってもらうこと』に挑戦するプロジェクトです。そしてクラウドファンディングのユーザーは、技術の進化に高い関心を持っている方々が多い。クラウドファンディングとの相性は抜群でした。
アパレル業界では、InstagramなどのSNSを使ってブランディングすることが主流になっています。ただ、ビジュアルリッチなメディアでは、どうしても専門的な技術の内実や、見えない機能性は伝わりにくい。一方でクラウドファンディングは、一つのページに思いの丈を存分に書き込めますよね。つまり私たちの先端技術に対する思いや熱量を減退させず、生活者のみなさんに届けやすいのです」
以降も、クラウドファンディングで支援を呼びかけるたびにファンは増え続け、幾度もあっという間に目標達成率を大幅に超える結果を収めます。また、クラウドファンディングで集めた支援金をもとにECサイトを立ち上げ、直接的にファンの声を集めることにも注力。
また、先端技術に対する熱量をファンにこれまで以上に届けられるよう、ショールームを設置し、ファンとの直接的な交流も深めています。西田さんがファンとの直接的な接点の中で重視しているのは、「『MOONRAKERS』の服があれば、生活が変わる」と伝えることです。
西田さん「たとえば『吸汗速乾性能高く、形態安定性にも優れています』と説明するよりも、『家庭洗濯機で洗って脱水した時点で半分ほど乾いており、アイロンも不要。夏場であれば、干さずに着ていると言う方も多くいます。すぐ乾くので、傘がいらないと言う方もいるほどです』と、みなさんの日常の風景を織り交ぜて話すと、みなさん目の色を変えて話を聞いてくださいます。直接商品をお見せしながら話す機会が増えることで、生活者のみなさんにもより熱量を伝えやすくなりました。
また、直接的に交流できるようになったことで、我々もみなさんの意見を取り入れやすくなりました。たとえばショールームでの会話やECサイトを通して、『こういう商品がほしい』とファンの方々から要望をいただくこともあります。
取り入れるべきご要望だと思えば『必ず実現させます』とお伝えし、時間が掛かっても実現してきました。そうして完成した製品は、その要望を寄せてくれた方にとっては『自らの声が生み出した製品』となり、周りの方々に強くおすすめしてくれるようになる。つまり、ブランドの物語がその人のナラティブになり、私たちの熱量がファンの方を介して、たくさんの人に伝わるようになったわけです」
ただ、これだけ応援してもらえるようになるには、声高に思いを伝えるだけではうまくいかなかったはず、と話す西田さん。こうしてたくさんのファンができたのは、「東レの高い技術力があったからこそ」だとします。
西田さん「きっとこの手法は我々だけでなく、他の企業さんも真似できる手法だと思いますし、ぜひ実践してみてほしいと思っています。
ただ、そのためには自分たちの製品に自信がなければなりません。『MOONRAKERS』というブランドを根本から支えているのは、先端技術に裏打ちされた唯一無二の商品力であり、その品質の高さなんです。だからこそ、私たちも自信を持って製品の魅力を余すことなく伝え切れるわけです」
社内調整の難しさが出向起業を決意するきっかけに
クラウドファンディングの導入やECサイト・ショールームの設置を機に、発足から時をおかずファンから熱狂的に愛されるブランドとなったように見える『MOONRAKERS』。順風満帆な歩みに見えますが、意外にも事業開始当初はなかなか成功への道筋が見出せなかったそう。西田さんはPoCを進めていた当時を「失敗ばかりでした」と振り返ります。
西田さん「会社としても個人的にもtoCビジネスの経験がなかったため、マーケティングやブランディングに関しては全くノウハウがありませんでした。新聞や雑誌などで広告を出してみたり、SNSでファンを増やす施策をしてみたり……。
いわゆるファッションビジネスの正攻法と言われるマーケティングを一通り実践してみたのですが、全く響かずほとんど全てが失敗に終わりました。でもその失敗を通して、我々のターゲットはファッションを追い求めている方々ではないと気付いたのです。そしてそこから全てが変わりました」
加えて、東レ初のtoC事業であり、前例が無いため「どの施策を進めるにも、細かく社内稟議を通す必要があった」と西田さん。
西田さん「月に20件の稟議書を書いていた時期もありました。決裁が下りるのは、どんなに早くても稟議書を出してから2週間後。経営会議にかけられる事案となれば、数ヶ月かかる場合もあり、結果的に決裁が下りないという局面も多かったので、焦燥感が高まるばかりでした」
「このままでは時期を逸してしまう」と感じた西田さんは、経済産業省が推進する「出向起業制度」を活用し、東レから一時退職する形で事業を独立させることを決意します。出向起業制度とは、大企業の人材が企業を辞職せずに、外部資金の調達や個人資産の投下などにより起業し、立ち上げた企業に出向して推進する新規事業を支援する制度です。
西田さん「大企業にとってガバナンスは会社の信用に関わることですから、とても重要であることは十分認識しています。ただ一方で、新規事業においても大企業の既存事業と同様の厳格なガバナンス基準を適応することは、新規事業にとって欠かせないスピード感を毀損し、担当者のモチベーションを損ねる恐れがあるため、デメリットの方が大きいと考えています。
だからこそ、出向起業という手段はとても有効だと思いました。実際に大企業のリソースを使って事業を立ち上げ、大企業の“外“で事業を展開しているからこそ、『MOONRAKERS』は急速に成長できたのだと思っています」
『MOONRAKERS』を出向起業のロールモデルにする
出向企業制度を活用することで、事業頓挫の危機を脱した西田さんですが、「MOONRAKERSのようなスタートアップを日本に増やしていくためには、大企業のリソースが必要不可欠」だと改めて実感したと言います。
西田さん「大企業は資金、技術、人といった新規事業創出に必要なリソースを潤沢に保有しています。しかし、日本では新規事業がなかなか生まれず、このことが経済成長率が伸びない一因になっている。日本が活性化するには、大企業こそ変わらねばなりません。
大企業のリソースを生かして新たな事業を立ち上げ、大企業の“外”でスピード感を持ってその事業を大きくしていく。大企業のリソースとスタートアップのスピード感が組み合わせれば、日本や世界を変えるような事業がどんどん生み出されるはずですし、出向企業制度はその起爆剤になると考えています」
TMIP Innovation Award 2024への参加を決めたのも「出向起業という『大企業発の新規事業』のあり方を伝え、多くの方のロールモデルになりたい」という思いがあったと言います。2024年12月4日に実施された最終選考会におけるピッチでは、「『MOONRAKERS』に関わってくださるみなさんと共に産業を変え、日本を変え、世界を変えていきたいと思っています」と熱いメッセージを発信。
そして審査の結果、『MOONRAKERS』は見事に優秀賞を受賞。特別審査員を務めた早稲田大学大学院 早稲田大学ビジネススクール教授・入山章栄さんからは、こんなコメントが送られました。
入山さん「とても面白い事業だなと思ってピッチを聞いていました。特に、クラウドファンディングを活用して服をつくるというアイデアが素晴らしい。クラウドファンディングを連発しながらテストマーケティングをして、在庫を持たずにアパレル事業を展開する。『こんなやり方があったか!』と驚かされました」
『MOONRAKERS』の今後の展望を問うと、西田さんは間を置くことなくこう答えました。
西田さん「とにかく面白いことをやっていきたいです。そして先端技術の素晴らしさをファンのみなさんに伝え続けていきたい。現在、『MOONRAKERS』に対するファンの熱狂的な反応を見たさまざまなブランドからコラボレーションの依頼が殺到しています。今後は、多様なブランドとの共創によるファッションビジネスの変革にも挑戦していきたいですね。
ただ、そこでも私たちスタッフはもちろん、コラボレーション相手や東レも含めた製造を担うメーカーのみなさん、そして何よりファンのみなさんが楽しくないと意味がないと思っています。ワクワクした思いや先が見えないドキドキ感を含めた大きな熱量をみなさんと共有しながら、事業を推し進めていきたいです」